山深い里にずっと住んでいるせいか ごくありふれた日常に
自然を思う気持ちや ふるさとのありがたみなどを改めて
考えることもなくなってしまっているというのが現実だ
ふるさと と言えば 室生犀星の「小景異情」に出てくる詩の中に
「ふるさとは遠きにありて思うもの そして 悲しくうたうもの」との一節がある
ふるさとを持ちながら ふるさとに帰れないほど辛い
その気持ちを込めた哀しげな詩だそうだが すべての詩を暗記しているわけではないが
なぜか不思議とこのフレーズだけは いつも心に残っている
それから ふるさとと言えば 石川啄木だ
その短歌集の中にもふるさとと言うフレーズは割とよく出てくる
「ふるさとの 訛(なまり)なつかし 停車場の 人ごみの中に そを聴きにゆく」
「ふるさとの山に向かひて言うことなし ふるさとの山は ありがたきかな」がそれだ
高校卒業後は 当たり前のように田舎を出て行き 奔放な大学生活を送り
一方で夏休みや長期休暇を利用しては地元にしょっちゅう帰ってきていた
当時も 都会にはうだるような暑さと 個やプライバシーを大事にするために生じる孤独感が
いつもつきまとっていた
そのせいか 意識はしていなかったが 周期的にふるさとに戻っては
そのありがたみというものを十分に感じていたような気がする
今年も 夏休みやお盆休暇などを利用して 多くの人がこの山里にも帰ってくる
機会があれば また今だから気づく田舎の良さというものを 心の底から話してあげたいものだ
では、
エンジョイ! 山里の暮らし
コメント