世界の国々の名前にバドミントン トランプにオセロ 算数に英語 勉強という勉強
運動という運動 とにかく孫たちには負けたくない 勉強も運動もできて どこまでも物知りで
そしていつまでも若々しくて?体力がある「すげ~ジイジ」でいること それが今の自分の
ささやかな希望だ 「勉強」「スポーツ」「ゲーム」などは やはり「勝つとうれしい」が
「負けると悔しい」というのが誰にとっても正直な気持ちだ 特に ゲームで「自分が負け始める」
と とたんに「文句」や「愚痴」「やめようかな」という言葉が孫たちからも
出てくることがある 子供のころの自分にも 大人たちと同じゲームをしている時に
「負けそうになったり 負けた時に」 文句を言ったり 「やーめた」と言って
やめてしまうことがよくあった気がする そして もっといけないことに その後の
努力もしないでいることがあった 振り返るとある年齢までは自分も その「負け惜しみ」を
よく口にしていたようで 体力や知識が備わるまでは それも致し方のないことかもしれないが
孫たちにはその「負け惜しみ」ではなく いい意味での「負けず嫌い」になってほしいと願っている
子供の頃というのは だんだん自分の思うようにならないと 不満や駄々をこねるようになるのだが
そのうちに「我慢」をすることや「回りの人」への配慮もできるようになるようだ
だから 今は全く心配はないのだが 別の側面から 「駄々をこねた」ときに
その時には 孫たちが素直には聞けなくとも「なぜだめだったのか」
「悔しかったら もっと努力して上手になれよ」などと「諭してやる」ことの大切さを感じてもいる
この歳になると 孫たちの成長を見るのは何よりも楽しみだ
ジイジ バアバにとっては 親の様に「育てる責任」はなく「かわいがる」ことが
仕事みたいなものなので気楽なのだが ひとこと言いたくなるのも正直なところなのだ
年を経るにつれ これから 自分がどんなに努力していても 自分だけでなく友だちや
同級生なども同じように努力をしているために 簡単に勝てないことが出てくる
でも勝つために また負けないためには どうしても「努力」というものが絶対に必要なのだ
そのためには 「あせらず くさらず おこたらず」の精神が大切なんだと言うことを
教えてやりたいと 常々思っている
たぶんだが 孫たちは、「ジイジは物知りで勉強もまあまあできる」「ジイジは負けず嫌い」
などと思っているかもしれない だが 歳を取ってくると 実はとっくの昔に
忘れてしまっていることもあるし 思い出せないことや勘違いもすでに始まっている
知らないだろうが それを誰にも気づかれないように こっそり勉強し努力している事もあるのだ
最後に この歳だがもう少しだけ「ジイジ すげ~」と言われる自分でいたいと思っている
だから 孫たちよ 容赦なくかかってこい. そして覚悟しておけよ!
では
エンジョイ! 負けず嫌い