人間が社会生活を送る上で 周りの環境や人間にある程度合わせることは大切なことだ
だがそれも度を過ぎると 今度は自分の意見や気持ちがなくなってしまうことにもなりかねない
人の思想や価値観は多様で 自分は自分の考えを尊重していいし 相手の考えも
尊重して理解すればいいと思っている
相手の考えに合わせないということは 相手を否定することではない
人の話はよく聞いて 一旦は受け入れていい所は取り入れていく シンプルにそれでいいと思う
最低限の協調性を保つことは大切だが 自分を抑えてまで相手に合わせる必要はないと言うことだ
穏やかな性格だと言われて いくら良好な人間関係を保つためにガマンを繰り返したところで
相手にとっては都合の良い存在の一人に過ぎない
都合の良い存在というのは たしかに嫌われることはないのだが 尊重されることも
ないということだ
なんだか難しい話になってきたが 自分のサラリーマン時代はとにかく協調性というものが
重んじられた
おそらく世間一般がそうだったのだろうが 特に自分の働いてきた職場は
それが強すぎたのではないかと思うこともあった
会社においては 社長も役員も管理職も平社員も皆んなが同じ方向を向いて力を尽くすことが大事で
これができていれば内部統制が取れているなどと世間は評価した
だが 皆んながそのあるべき方向に向かうためには それぞれの立場で意見や
議論を尽くすことが大事だったんだと思う
多様性とは“いろんな人がいる”という定義で見がちだが 実は“一人ひとりが自分らしく
多種多様な意見を言い合う”ということだったんだということに ようやくたどり着いた
物事は見方を変えると まったく違う結論が導き出されることがある
会社というしがらみがなくなった今 本当に時々だが 人とわざと議論をしてしまうことが
自分にもある(ごめんなさい)
結論ありきで 実は相手の考えていることに絶対反対ではないのにだ
罪を憎んで人を憎まず 少しだけ寛容な心があれば物事は解決する
今は その考えのもとに行動しようと考えている
というわけだが・・・ もっと気楽にいこうぜ!
では、
エンジョイ! 多様な意見 多様な生き方
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