「余生」を「本生(ほんせい)」と思うわけ

暮らしの中で

昔から 「余生」という言葉がある

世間では 「余った人生」とか「残された人生」 などという意味でよく使われている

人生において やるべきことをやってしまって 余ってしまった人生

死ぬまでに残されたわずかな時間 という意味が込められているようだ

だが そもそも「余生」と言われている渦中の人たちは 決して そうは思っていない

たとえ余った人生などと 口にしていたとしても

それは 本人が謙遜して言っているだけの話だ

対外向けに 余生を謳歌するぞ などと言う人もいるが

実は本心では まだまだ やるべきことが山ほどあると思い続けている

もう年なんだから 着る物なんてどうでもいいやだとか

どうせ何か新しいことをやったって 物にはならないだろうから

などと 思ってはいけない

仕事に必死に取り組み 子育てにも必死 最近では介護にも・・・

何をするにも 今までは やりたいことを我慢して

家族やその生活を第一 として頑張ってきた

ようやく迎えた 今こそが 「余生」というよりは

まさに 自分たちに与えられた時間 なのではないか と思う

何を着ていても 何をしていても たとえ非常識 と思えても

ボケて 常識を失っていない限りは

若者たちには 余生を楽しんでくださいなどとは 間違っても言ってほしくない

むしろ その勇気にエールを送って欲しいとさえ 思っている

高齢者に向けられる「余生」とは

これまでずっと我慢してできなかったことを実現すること

まさにそれが これからの「本生(ほんせい)」という気がしている

では、

エンジョイ 本生(ほんせい)

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