多様性を受け入れるということ

暮らしの中で

 

われわれ世代は 子どもの頃から 多様性を尊重することを意識づけられ

人を傷つけちゃだめだよなどとくどいほど言われてきた

その結果 自分が嫌われたり 悪口を言われたりしないようにと

少なくとも表立っては人の価値観に口を出さないのが 処世術になっている

それは多様性を目指しながら 価値観の異なる他者との関わりを避ける

という矛盾もはらんでいるように思える

な~んて どうも考えることが哲学じみてきた

例えばの話だが 自分にも苦手な人がいる

その人を「受け入れよう」とした時 頭では「受け入れたほうがいい」と理解はできても

感情や身体感覚レベルでは難しく感じてしまう

苦手な人の前でニコニコできるほど 自分は心が広くない

「人間ができていない」と言われればそれまでなのだが・・・

だが 人を傷つけるような狂暴な考えを持つ そんな人を

自分としては「受け入れる」ことができそうにない

しかしその一方で 「受け入れる」ことはできないとしても

「そこにいる」「そこにある」ぐらいのことなら認めることができるかもしれない

昔に比べるとさらに多様性の増す社会になった

そんな中 自分の中に受け入れることができなくも

自分の外に置いておくことぐらいはできそうだ

多様な個性が一つの場に集える そんな社会になることを望んでやまない

では、

エンジョイ! 多様性が求められる社会

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