幼い頃の体験が今

暮らしの中で

歳を取ってくると大抵のことがわかってくるし 何かに迷ってどうしようかなどと考えた時でさえ

まるっきり誤った方向に進むことは少ないような気がする

進むべき方向や正解を導き出すプロセスは やっぱり幼い頃から徐々に養われてきたのだろうと思う

我々小学生の行き帰りはいつも徒歩 それは雨が降っても雪が降っても

台風で風が吹いていてもだ

今では想像もつかないだろうが その当時の我々の親世代の多くは生活のために毎日が忙しく

とても子供たちを送り迎えしている時間などなかった

でもそのことによって 子供たちは道々で自然に触れたり 発見したり

驚いたり 時には寄り道をして親に心配されたり 地元の大人たちに怒られて

反省したりした時の思い出は数知れない

そこには 学校で学ぶこととは別の 大人や社会の一員になるための

小さな修行のようなものが詰まっていたような気がする

近頃では 車社会が当たり前になり 雨が降りそうなら 親たちが学校まで送って行くし

帰りには先回りして迎えに行ったりしてしまうようだ

ただ それをまったく否定しているのではない

おそらく我々が今の親世代なら当然のようにそうしているはずだ

要するに時代なのだと思う

塾や勉強もそれほど必要のなかった時代の我々は 糸の切れたタコのように

自然の中でいろいろな経験をし 日没ギリギリまで家に帰らないことなんて

たびたびあった

寒い冬の日 氷の張った川や池を 割れて落ちるかもしれないと思いながら

勇気を振り絞って渡ったこともあった(実際には落ちた!)

たとえその時に川や池の中に落ちてパンツまで濡れてしまったとしても

それは自分自身の決断であって 親たちには怒られたにしても

決して後悔などはしていなかったように思う

その時のドキドキ感は今も忘れていない

我々世代は 大きな自然の中で ちょっぴり怖い経験などというものは何度もしていて

その時々に自分で考えて判断し 少しづつ大人に向かうための自分というものを形成し

成長してきたのではないかと 今にしてつくづく思う

こうして大自然と毎日のように向き合ってきた我々だが 今の子供たちは今の子供たちで

実は 別の意味でネット社会や情報氾濫の時代に勇気を持って

向き合っているのかも知れないことを思うと

どちらかが正解・不正解の話ではない気がする

こんな取り留めのないことを考えながら 今も昔も 幼い頃の経験というものが

自分たちの基になっていることを改めて実感し その思いに耽っている

では、

エンジョイ! 幼き体験

#幼い頃の体験#幼児#ネット社会

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