おにぎりの話

暮らしの中で

最近 若者(20代)へのアンケートで「誰が握ったおにぎりでも食べられますか?」

との記事が載っていて 興味深く読んだ

なんと「食べられる」と答えた人は36%

「家族が握ったおにぎりなら食べられる」が44%

「恋人が握ったおにぎりなら食べられる」が8%

「食べられない」が12% との結果だった 

条件付きだが 10人に6人は知らない人が握ったおにぎりは食べられないと言うことになる

小さい頃からの専業農家で 私自身も根っからの田舎育ち 

しかも3世帯同居の大人数の家族の中で育ってきたせいか 

食についてのこだわりというものはあまりなく このアンケートにさえ???で

あまり意識したこともなかったので 正直この結果を見て少々びっくりしたところだ

気付くのが遅れたが 多分今の時代ゆえのアンケート結果ではないのだろうと

つくづく考えさせられた

男性脳・女性脳、都会暮らし・田舎暮らしの違いなどなど 

この頃になって気付かされることがいっぱいで まさに多様性というのだろうか

おにぎりに限らず 料理を作って人に出すといった気遣いがあだとならないように

もてなしの際には注意しなければならないということを初めて認識した

特定の関係がある人のものなら食べられる 知っていると信頼できる 

というのは「生産者の顔が見える商品」に信頼感を覚えることと似ている

ただちょっと違うのは その信頼は、“商品”への信頼ではなく “人”への信頼であるということだ

もうひとつ自分の話になるが 小さい頃から 作った人に申し訳ないから

出されたものは残さず食べなさいと これだけは親からしつけられていた

それゆえ おにぎりはおろか ご飯一粒も おかずも出来るだけきれいに食べることが

今でも習慣づいている

また 家族もそうだが仲間と一緒に同じお皿で食べることにもなんの抵抗もない

これは共に過ごした時間に対する信頼からかもしれないが 

子供の頃からそうして食べることを当たり前としてきたためかもしれない

ということで 「食べられる」「食べられない」は 各自が育ってきた環境が皆違うことから

幼い頃から知らないうちに身につけた生理的な許容ラインと言えるのかもしれない

コロナ禍により 会食自体が制限されたり 会食時の大皿での料理提供に待ったがかかったりと

今 従来の生活様式が大きく見直されようとしてきている

お互いの信頼関係に立った会食も大事だが 夫婦はおろか気の合う仲間であっても

それぞれが全く違う環境で育ってきていることを認識し 当然にずれがあることの意識を持って

それをお互いが率直に遠慮なく話し 理解した上での信頼関係を築いていきたいものだ

 過ごしてきた時間を思い 

 育ってきた環境の違いを知ろう

 これからの快適な時間に向けて

 共通の価値観を作り上げよう

 

では、

エンジョイ! Comfortable  Life

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