老いも ポンコツも

暮らしの中で

どうしちゃった 最近の自分

ペットボトルのキャップや きつくしまったビンの蓋が開けづらくなっている

今まで普通に読めていた細かい字の取説も ここに来てどうも読みづらい

かつては スイスイと持ち上げられていたはずの米袋(30kg)も

今は気合を入れなければ 簡単には持ち上がらない

考えだすと 他にもあるはあるは・・・

耳もいつの間にか聞こえづらくなっている

それも 特に高音が聞き取りにくい 

高い大声より 低いひそひそ話の方がむしろよく聞こえたりするものだから

子や孫たちにはすこぶる評判が悪い

以前はらくらく手が届いていたはずの神棚も

届くには届くが 物を取るには微妙になっていて

取るには取れても 動かす手足の感覚が少々危うい

自らの身体的変化によって老いを実感し 

できなくなってしまったことが増えていく不安を感じる

加齢は「身体の変化」の過程とともに 「心の変化」ももたらすという

そう言えば 仕事を辞めた時などには ほんのしばらくだが

社会や家庭での役割を失ってしまったかのような思い込みもあった

親しかった同級生のHKや親戚の訃報

自分の良き理解者であった先輩や仕事相手の訃報を聞いて

「ついに自分もそういう歳になったのか」などと落ち込むこともあった

これらの何気ない「老い」の過程とともに

これらの「喪失体験」というものは

老いていくことや死に対する不安や恐怖と直結していて

受け入れるまで時間がかかる場合があるのだという

そんな自分だが なぜか元気でいられるのは同じ「老い」を同じ時系列で

ずっと一緒に歳を重ねて来られた友たちがいることだと 確信している

これから先も 難しいことはあまり考えないことにして

「ポンコツ」をネタにして 共に楽しく過ごしていきたいものだ





エンジョイ 「老い」 も 「ポンコツ」
も

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