マスクの下の笑顔

暮らしの中で

新型コロナウイルスの影響で始まったマスク生活も もう1年半近くが経つ

慣れたといえば慣れたが マスクをしていることをいいことに 手を抜いたり省略したり

利用したりしていることはないだろうか マスクをして話をすると 顔の大部分が隠れているので

あまり表情を表に出さずに会話をしがちだ

だが 自分のまさに個人的な見解だが マスクの下の表情はわからないように見えて

意外と想像がついてしまうのだ 間違っていたらゴメンなさいだが

つい先日自分の身にもこんなことがあった 昨年の4月からだからもう1年以上になるが

母親が病院に入院しているために 毎週洗濯物を持ちながら火曜日の午後には受付を訪ねる

受付の女性も間違いなくエッセンシャルワーカーの1人だ

その方の気持ちも痛いほどわかっているつもりなのだが

マスク越しのぞんざいな(そう見えてしまう)態度がどうしても気になって仕方がない

「療養病棟に入院している○○○の家族・・・」とこちらから言いかける途中に

腰掛けたまま来院記録表を何も言わずにさっと渡してくる

いつも来ているから自分のことを知ってのことと  こちらも無言を貫きつつ記録表を差し出すと

「患者さんはどなたですか?言ってもらわなければ」とばかりに機嫌悪そうに聞いてくる

そんなやりとりにうんざりしつつ 「おいおい、その態度はないだろう・・」

などと勝手に思ってしまうのだ  いつもお世話になりながらごめんなさいだが

こういう時期だからこそお互いに気配りが必要なのではないかと考えさせられる出来事であった

病院を訪ねるものの 患者本人との面会が叶わずに もどかしい気持ちでいる家族

一方で いつなんどき感染してしまうかも知れずに

毎日たくさんの来訪者との応対にかかわらなければならない病院側の職員さんとの

相反する状況がそこにはある コロナ前の普段の病院の状況であるならば

起きるはずのない構図ができてしまっているのだとつくづく思い知らされた

こんな時にこそ 立場は違うがお互いに思いやりを持たなければならないことを

つくづく感じた日となった

病院のみなさん本当にごめんなさい 引き続き母親のことをよろしくお願いしますと

心の中でつぶやいている

コロナに伴うマスク生活は さまざまな感情を呼び覚まし 変な誤解を招き

また起こらなくともいいことを曲折して起こさせてしまっているようだ

マスクをしていようといまいと  人と人とが話をする時は目と目を合わせるところから始まる

マスク越しの笑顔というものは 普段から意識することで 表情も明るくなり感情も伝わりやすくなる

明けない夜はなく アフターコロナに向けて お互いの気持ちを寄り添わせることで

これからも希望を持って毎日を過ごして行きたいものだ

 

頑張れ エッセンシャルワーカーの皆さん

では、

 エンジョイ! 来るべきアフターコロナの日々

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