飽食の時代を生き抜く

楽しいこと

今の自分たちの毎日には 食べ物の不足というものが一切ない 

何か食べたいと思ったものはすぐに手に入れることができるし それを腹一杯食べること

だってできる ついでに言うと 時には欲しくないものまで欲張って買い込む始末で

なんとも言いようのない飽食の時代を生きている こんな時代を良しとして生活を続けることが

いいのだろうかなどと 常々思うがやめられないままだ

自分たちが幼い頃の昭和30~40年代は もちろん戦後で日本が高度成長に向かう真っ只中だった

そして 今と同じように平和ではあったが決してすべてにおいて豊かではなかった

親をはじめ大人たちはいつも家族のことを考えながら 少しでもいい暮らしをと考え

朝から晩まで働き詰めに働き 贅沢は敵 倹約は美徳などをモットーに皆んなが皆んな

必死で働いていたような気がする 何度かブログにも書いたが 小学生の頃は学校からの帰り道に

畑に成っていたトマトやキュウリ 山の桑メドやスグリを拝借?しては 背徳の思いを

抱えながら食べていた 兄弟も多く 好きなものや食べたい物を腹一杯に

食べることがあまりなかった時代だった でもその頃が異様に懐かしく思い出されるのは

歳をとった証拠かもしれないなどと 飲みながら友人たちとよく話す

冬などの農閑期には 学校から帰りお腹が空いたというと 母親がよくおにぎりを

作ってくれたのを思い出す 海苔で巻いた塩むすびに味噌むすび どっちも好きだったが

甘ジョッパイ味噌むすびは中でも大好きだった

しょっぱい味噌の上に砂糖をかけて甘じょっぱくしたむすびなのだが これには絶妙の

組合せという物があったようだ たまたま親も兄弟も出かけていて むしょうに

腹が空いていた時に 自分が好きな大きさのでっかいむすびを作り そこに味噌をつけ

ここぞとばかりに好きなだけ砂糖をたっぷりとかけてかぶりついたのだが 

これがちっとも美味しくないのだ 大きさと味には それぞれほどほどで絶妙の

コンビネーションというものがあり 好きなものを好きなだけ食べたところで

ちっともおいしくないしつまらないことなのだと気づかされたのは 

この事があったからかもしれない

今時の子供たちは 学校から家に帰ればパンやら菓子やらジュースやらが

当然のように用意されている 大人にならなければ 決して口にすることができなかった

高級品まで いとも簡単に食べることができる 自分たちが生きてきた時代が

一番の理想だとは言わない 飽食の時代には飽食の時代なりの価値観と制約がある

豊かな時代になったことは本当に幸せなことだが その幸せを謳歌しつつ 

世に言うS D G sにある目標通り 貧困をなくそう 飢餓をなくそうとの

持続可能な目標の実現に向けて 皆んなでその思いを共有していきたいものだ

では、

エンジョイ! たまにはまじめに S D G s

楽しいこと
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