私が住む山里の道端には馬頭観世音と呼ばれる石仏が
いくつも建てられている 毎日の私の僅か5Kの散歩コースの中だけでも
5箇所16体もの石仏が建てられている
さてさて馬頭観世音とは何か 知らない方も多いと思うが
その名の通り 頭上に馬の頭をのせている馬頭観音だ
『頭上に馬』と聞くと ものすごく奇抜に感じるが
実物を見ると馬の存在感は実に控えめだ
また 観音様といえば柔和な表情が思い浮かぶが
馬頭観音だけは怒りの表情(忿怒相:ふんぬそう)をしている
また観音像は 髪を高く結い上げていたり
宝冠をかぶっていたりするために 頭上がにぎやかなので
よく見ないと馬だと言うことに気づかなかったりもする
馬の様に煩悩をむさぼり食い、忿怒相で諸悪(苦悩や災難)を
打ち砕いてくれる存在なのだそうだ
怒りの表情からはちょっと想像しずらいが
馬頭観音は庶民のために色々世話を焼いてくれる仏様で
怒っている顔はしていても それは人の煩悩に対してであって
決して人間に対して怒っているわけではないのだそうだ
馬頭観音の優しさは 人間だけに留まらず
馬を含める家畜の安全と健康を祈る観音でもあった
その昔 馬は武家にとっても農民にとっても生活にはなくてはならない動物であった
農耕に活躍し 移動手段としてもとても大切であった馬
また 旅の道中を守る観音として
路傍には石の馬頭観音像が刻まれる様にもなったとか
人々の生活とは切っても切れない関係の家畜の象徴として
もっとも大切だった馬を掲げた観音様だそうだ
ちなみに 道端で私の家の敷地内にある馬頭観音像(最後の写真)
が建てられたのは 明和7年寅年3月18日と刻まれている
調べてみると 明和7年は江戸時代の中期で西暦1770年
将軍は10代徳川家治の時代であった
建てられてから何と250年の歳月が経っていることになる
私の先祖の身分はおそらく農民であり
その時代ではさぞや食うや食わずの生活の中にあったに違いないが
供養と信仰の念を持ちつつ 苦しいながらも石仏を建立したことを思うと
誇りと畏敬の念を抱かずにはいられない
私の元々の先祖に行き着くにはどのくらいさかぼるのか見当もつかないが
その途中で何か重大な欠陥が生じ その先祖の一人でも違っていれば
今の私は存在しなかったのだという
とてつもなく哲学的な そしてロマンあふれる思いに至らせてくれた
馬頭観世音像に感謝したい
そしてこれからも長く大切にしていきたい・・・(合掌)
では、
エンジョイ! 石仏巡り