いつの世も 親というものは
子どもが落ち込んでいると 自分のことのように辛くなるものだ
逆に 子どもが幸せの絶頂にいれば それはそれで 今度は怖くなってしまう
とかく 親は子どものために 何でもしてしまうものらしく
逆に それは 子どもの自由を奪ってしまうことにもなりかねない
この年になると 若い頃の色々なことを思い出す
親の忠告など一切聞かなかった時期
聞いたふりをしながら 裏腹な行動をしていたことも何度か
後ろめたい気持ちもありながら そんな時代を右往左往しながら生き
今の自分というものが出来上がっている
自分もそうだったのだから おそらく 子どもたちもそうなのだろう
妻曰く 頑固な私は 今でも 親子だからと ついつい言い過ぎてしまうことも多いらしい
自分が言わなければ 誰も言わないはず などと勘違いしない方がいいらしい
子どもの成長というのは実に早く あっと言う間に 親元を巣立ち 離れていくものだ
これも 今この年になっての実感だ
子どもに幸せな人生を歩んでほしいと願うのは 親としての当たり前の感情だが
子どもとて 自分なりに考え 良心に従って 生きていこうとするのは当たり前のことだ
親というのは 子どもがとことん迷い 出口が見つからなくなった時にだけ
そっと知恵を貸してあげればいいのかもしれない
昔からよく言われている子育て方針に
「しっかり抱いて そっとおろして 歩かせる」との言葉がある
親の気持ち 子の気持ちをお互いに考えつつも
いつも親としては 心に持っておきたい言葉だと かみしめている
では、
エンジョイ 親の気持ち 子の気持ち