もう60年近く前の話だ この自分が幼稚園児だった頃だからはるか昔の話だが
ひとつだけ忘れられない思い出がある それは 幼稚園に毎日持って行ったお弁当の話だ
当時 家庭によっては幼稚園に通わせない家もあったが
小学校に入学する前の一年間はたいがいの家では子供を幼稚園に通わせていた
小さい子を持つその時代の多くの家庭では 3世代同居が当たり前
どこの家も生活はそれほど裕福ではなかったように記憶している
ヘリコプターの絵が描かれたアルマイトの青い弁当箱 おかずはと言えば毎日目玉焼きが一個だけ
ご飯の上にのせられ醤油がかかっているという質素なものだったが
そんな弁当でも不思議とあきることはなかったし文句も言ったためしがなかった
そんなある日に事件が起きた いつものようにお昼に園児皆んなで「いただきます」
をして弁当を開いたところ 何とその弁当箱が空っぽのままだったのだ
一瞬何が起こったのかわからなかったが 前の日に持ち帰った弁当箱がそのままの状態で
その日の弁当を作ってもらえなかったのだとしばらくして分かった時には
もう涙が止まらなくなっていた 家では養蚕の最盛期を迎え 忙しい状況であったことは
子ども心に承知していたし 今にして思えば 毎日繁忙を極める農家なら
さもありなんと思うのだが さすがに空の弁当箱には泣いた
幼稚園時代のことは 他には何一つ覚えていないが これだけは覚えているということは
かなり鮮烈だったのだろう ちなみに その日のお昼は 「トンボ組」で一緒だった
O病院の御曹司M君が毎日得意気にうまそうに食べていたZ屋の牛乳パンを
担任の先生に買ってもらい食べ それはそれで至福の気分を味わったことも記しておきたい
その日は 家に帰って母親に泣きついたのか 泣かれたのか どう報告しどんな反応だったたのか
今になっては何も思い出せないままだ
機会があったら その日のことを母親に聞いてみようと思っていたのだが
今はそれも残念ながらかなわない状況だ
元気になったら そんな昔話をしてみたいものだ
もしかしたらとひらめいて 昔住んでいて今は空き家の古い家に行ってみた
するとどうだ!!
台所の棚から当時の「ヘリコプターの絵が描かれた青いアルマイトの弁当箱」を発見!
うれしさのあまり 早速 当時の自分のお弁当を再現してみた
質素だが 母親の愛情がたっぷりつまった 昭和38年の幼稚園時代の懐かしい味がした
では、
エンジョイ! 昭和の思い出
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