不適切にもほどがある

暮らしの中で

やれ個人情報だ やれハラスメントだ 今の不寛容な社会?は本当に息苦しい

我々世代が生まれ 育ってきた昭和の時代には許されていたことが

ことごとく令和の今ならアウトということが いっぱいに溢れている

ちょっとした過ちも許されないために

今やすべてに緊張感の高い社会となってきてしまっている

そのことで 逆に大問題が引き起こされるのではないかと考えているのは

自分だけではないだろう

あってはならない不都合な出来事のために あり得ない想定をしたり

拡大解釈をしてでも 事故やその結果に 自身の責任が及ばないようにと

何重にも予防線を張ったりすることが 果たして正しいことなのだろうか

いつも思うが 生命保険契約の分厚い約款など 誰が全部を読むというのか

消費期限や賞味期限にしても そうだ

昭和の時代は お菓子などで賞味期限後2日や3日過ぎていたとしても

まったく平気で口にしていたし

それらはあったとしても 自己責任ということで片付けられ 誰も文句を言わなかった

そんな時代が 今では懐かしい

規則は守れてしかるべきだが 社会的な制裁の結果がどうも過酷に過ぎないだろうか

そこには 情状酌量というものがあってもいいのではないか

昭和 平成 令和と 生まれ育った年代それぞれに 培ってきたものがあるはずなのに

ひとつの事柄をひとつの結論で縛ってしまっていいはずがない

個人個人が意識して ある程度気に入らないことでも受け入れる寛容性を持ち

他者の悪い部分ではなく 良い部分にもっと目を向けることができたら

もっともっと社会は良くなるはずだと 

こんな自分が まじめに そして真剣に考えている

では、

エンジョイ 自分が生まれ育った時代も 今の時代も

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