昔から 「余生」という言葉がある
世間では 「余った人生」とか「残された人生」 などという意味でよく使われている
人生において やるべきことをやってしまって 余ってしまった人生
死ぬまでに残されたわずかな時間 という意味が込められているようだ
だが そもそも「余生」と言われている渦中の人たちは 決して そうは思っていない
たとえ余った人生などと 口にしていたとしても
それは 本人が謙遜して言っているだけの話だ
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対外向けに 余生を謳歌するぞ などと言う人もいるが
実は本心では まだまだ やるべきことが山ほどあると思い続けている
もう年なんだから 着る物なんてどうでもいいやだとか
どうせ何か新しいことをやったって 物にはならないだろうから
などと 思ってはいけない
仕事に必死に取り組み 子育てにも必死 最近では介護にも・・・
何をするにも 今までは やりたいことを我慢して
家族やその生活を第一 として頑張ってきた
ようやく迎えた 今こそが 「余生」というよりは
まさに 自分たちに与えられた時間 なのではないか と思う
![](https://enjoyhiroyumilife.com/wp-content/uploads/2024/02/benjamin-davies-FiZTaNTj2Ak-unsplash.jpg)
何を着ていても 何をしていても たとえ非常識 と思えても
ボケて 常識を失っていない限りは
若者たちには 余生を楽しんでくださいなどとは 間違っても言ってほしくない
むしろ その勇気にエールを送って欲しいとさえ 思っている
高齢者に向けられる「余生」とは
これまでずっと我慢してできなかったことを実現すること
まさにそれが これからの「本生(ほんせい)」という気がしている
では、
エンジョイ 本生(ほんせい)
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